7月29日(日)  ブリュッセルからパリへそして市内観光
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<7月29日>
 7時30分、天気予報は晴れ時々雨。外はすでに雨が降っている。
 1階のレストランで朝食を摂る。ここのブッフェはハムもチーズも種類が多く、パンも日本人に合っていて、まずまず評判が良い。

 9時にロビー集合。晴れなら地下鉄で南駅までいくつもりであったが、あいにくの雨なのでタクシー3台を頼んだ。南駅まで10分程度だ。9時10分過ぎには南駅に到着。掲示板で乗車予定のTGVタリス(10時13分発THALYS9318)のホーム番号を確認。
 充分に時間があるので、待合室で休憩。その間にTリーダーとT氏が日本でいう「みどりの窓口」でモンサンミシェルに行く際のTGVの指定券を購入しに行った。ここはベルギー国鉄なので可能かどうか分からなかったが、大丈夫だった。ただ、窓口に並んで次の番になったら、係員から待合の番号を機械から取れと言われ、パリのTGV指定券だと言うと、別の隣の窓口だと言われた。
 付いてないことにその窓口ではさっきから韓国人らしい女の子二人がパスポートやらガイドブックやらを係員に見せて、ああでもない、こうでもないとか言って、かなりの時間がかかっている模様だった。やれやれ、止む無く我慢して待つしかない。
 時間が刻々と過ぎていき、9時50分。カウンターの奥から別の係員が出てきて窓口を開ける準備を始めた。「モーニン!」と言ってインターネットからプリントアウトしたモンパルナスからレンヌ行きのラインをマーカーした時刻表のペーパーとユーレイルパス、そしてパスポートを見せ、6人分の指定券が欲しいと片言の英語で伝えた。
 すると係員のおばさんはテキパキと端末を操作して、往復の該当列車の発車時間と、出発駅、行き先、人数、を再確認してスピーディーにチケットを用意してくれた。さらに料金は36ユーロと聞いて、びっくりする。指定券が一人片道3ユーロ(約500円)という値段に改めて「安いなぁ」。日本の旅行社に頼んだら10ユーロだったはず。10時過ぎに待合室に戻り、慌ててホームに上がりタリスに乗り込んだ。
 真っ赤な車両、指定の1等車両に乗り込むがスーツケースを置くところが僅かしかない。重ねて積み上げて漸く4人分。Tリーダーが係員に置き場所がないかと尋ねるが、車掌に言ってくれとつれない回答。後で分かったがその係員は朝食やら飲み物の準備で超多忙だったようだ。Y氏とK氏は別車両の置き場所を探しに行くが、しばらくして戻ってきた。どうも「自分の席に座れ」と言われたような。

 列車はまもなく発車。車内のデザインは、日本では考えられない程のオシャレである。10分もすれば窓外は広大な草原(畑)になった。そして先ほどの係員が飲み物などを積んだカートを転がして通路をやってきた。最初は単なる車内販売かと思っていたが、そうでなく全員に飲み物と軽食を載せたお盆を配っている。飛行機並みのサービスだ。1等車両の料金に軽食が含まれているらしい。
 列車はさっきから草原の中を走っている。広々としているのでスピード感がなく、とても300キロを出していると思えない。でも市外に出ると300キロを出しているということだ。

 11時30分頃になると、車窓にはだんだんと建物が多くなり、スピードが遅くなってきた。レールの本数がかなり増えてくると線路脇のコンクリート壁には、世界中どこにでもある落書きが増えてきた。そして雨模様の中、終着駅のパリ北駅のホームに列車が静かに滑り込んだ。












 11時35分頃到着。予定より3分早い。
 ホームを進み先頭車両をカメラに収める。他のホームにはロンドンへ向うユーロスターも停車していた。駅の案内所で、K氏提案の2階建て観光バスのフリー切符(2日間有効20ユーロ)を買うことにした。
 駅舎を出ると激しい雨が降っていた。駅舎横のタクシー乗り場に行くとさらに雨が激しくなった。その中で大型タクシーの運転手と交渉。ホテル(Blackston Opera)まで90ユーロだという。ちょっと「ぼった刳られ気味」のような気がしたが、分乗するにはまだ慣れていないこともあり、6人一緒に乗れることを優先して、大型タクシーに決めた。
 15分程度でホテルに到着。途中、細い路地のような道をくねくねしながら走ったので、遠回りしているのかと不信気味に建物の角や交差点の表示板で通りの名称を確認していたが、ホテルの方向に間違いはなかった。90ユーロという値段はすでに決めてしまっているので、運転手としては遠回りするよりも、さっさとホテルに届けて次の客を拾った方が得策なのだろう。

(3日後にホテルから北駅よりさらに遠い東駅までの3台に分乗したタクシーは15ユーロだったので、やはり「ボッタクラレた」と言って良いだろう。ちなみにメトロだと北駅から乗り換え1回、駅数は6つ位で、ホテルの最寄りのプラス・ドゥ・クリシー駅に着き、そこから徒歩200m、メトロ料金1.7ユーロで済むはず)。

 12時過ぎにホテルにチェックイン。狭い受付には女性が一人。パソコンを操作していた。4名分の部屋はすぐにキーが渡されたが、到着が早すぎたため、2名分は後回しになった。止む無く2名(TリーダーとT氏)は最も階の低いY氏の部屋にスーツケースを置かせてもらうことにした。
 部屋に入るとなんと狭い。ベッドの脇の通路は一人がぎりぎり通れる程度の余裕しかない。テレビだけは最新の液晶ディスプレイだが、洗面もエアコンもシャワーも場末のキチン宿の雰囲気。シャワーは、洗濯機置き場のような70cm4辺の上に、防水カーテンが2辺を囲んでいるだけのもの。下手するとシャワーの水が外に溢れてしまう。これでも旅行社は「当社基準の三ツ星で紹介できるホテル」と言っていた。料金はシングルで16000円。世界一の観光都市パリのホテルはやはり高い。










 13時、ロビーに集合して早速市内見学へ。雨はすでに止んでいた。
 表のアムステルダム通りをセーヌ川に向って下っていく。200mほどするとメトロのLiege駅。それを通り越してさらに行くと道が広がり、サン・ラザール駅の駅前に出た。その横の道路に消防車が停まっていて、消防士が、歩道を行く私たちに反対側の歩道に移れと手で指示しながらロープを張っている。何事かと思って向い側に渡ってみると、道路沿いの建物の5階付近の窓テラスのコンクリートが壊れて、路上に駐車していた車の屋根に落ちたらしい。もう少し私たちが早くホテルを出ていたら、丁度その下の歩道を通っていたはずだ。危ない、危ない。

 駅前広場を過ぎてさらにセーヌ川の方に行くと、2階建てバスが前方から走ってきた。「あのバスだ」。この近くに数台の2階建てバスが停車している停留所を見つけた。急ぎ足で向ったが発車してしまった。すぐに次のバスが来てそれに乗り込み、早速2階に上がった。椅子が少し濡れていたが、手でふき取れば大丈夫だった。でもなかなか発車しない。10分ほどして漸く発車した(13時20分)。
 バスはすぐ前のオペラハウスを左に曲がり、順々にコースを進めていくが、どうも思っていたコースとは反対のモンマルトルの方向に進んでいることに気がついた。4つのコースのうち、ルーブルなどのメインのコースとモンマルトルのコースが交差する停留所で、間違えてモンマルトル・コースのバスに乗ってしまったらしい。これも良いかとそのまま乗り続け、マドレーヌ寺院の停留所でメインコースのバスに乗り換えた。結果的に約1時間のロスとなったが、それも良しか。

 乗り換えたバスはオペラハウス前を通り、パリのメインの観光ポイントであるルーブル美術館、ノートルダム寺院、オルセー美術館の順に廻っていく。オルセー美術館前で下車すると、美術館前の広場に黒山の人だかりができていた。入り口で警備員が入場制限しており、そこから何重にも入場を待つ観光客が行列をなしていた。
 T氏が警備員にミュージアム・パスを見せながら、「このパスの入り口はどこか」と片言のフラ語で質問すると、建物の裏側を指差して別の入り口を教えてくれた。そちらに行くと行列もなくすぐに入場できた。入り口にはセキュリティチェックがあり、警備員が入場者に対してバッグを開けるように指示していた。前の客に倣って同じようにバッグの中を見せたらOKだった。
 さらに奥に入っていくと今度は女性の係員が居て、パスを見せるとパスに日付をペン書きされた。これでこのパスは今日のオルセーと明日のルーブルの二日間が有効となる。さらに奥に入るとそこは広大な美術館内である。ここはかつて鉄道の駅舎であったのを改装して美術館にしたが、その名残りをそこかしこに感じさせる雰囲気をかもし出している。ここでは午後4時40分出口集合ということにしてフリー見学とした。

1階から3階まで、特に印象派の世界的代表作品の絵画が展示されている。
オルセー美術館の作品スライドショーはこちら!

 午後4時45分頃に出口に集合。
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 セーヌ川方面を見るとその川べりの大通りに沿って大勢の人が並んでいる。私達も橋を渡って近づいていくと、どうやらその通りは、ツール・ド・フランスのゴールを目指す自転車が走るようだ。5時10分頃になると、パトカーや主催者用の車両が走り ぬけた。さらに数分すると参加者スタッフらしき人が乗った車両が次々と走り去った。すると両サイドの見物客の拍手と声援がさらに高まり、その中を40キロを越えるスピードで100台を越える自転車の群れが細長く列を作って走り抜けていった。
 カメラやビデオ、携帯のカメラなどでその一瞬をレンズに収めようとするが、ほんの数秒で走り去るスピードのために良い写真が撮れない。周回コースになっているので3~4周は廻ってくるだろうと、次の周回に期待を込めて、撮影場所を移動した。3回目くらいでようやくシャッターのタイミングが分かってきて、何とかレンズに収めることができた。
 後で分かったことだが、この周回コースを8周してシャンゼリゼ通りの端であるコンコルド広場でゴールインするということだった。空きっ腹を抱えた私達は5周ほど見た後、ルーブル宮殿の方に移動し、レストランを探すことにした。結果的には、日曜日であることでもあり、大学が点在する学生の街でもあるサンジェルマン・デュ・プレの方にいくことにした。
















 セーヌ川に架かるカルーセル橋を渡り、フランス学士院(Institut de France)の手前の通りに入る。両サイドに絵画のギャラリーなどの店が続く細い路地(Rue de Seine)を10分ほど歩いていくと、いきなり多くの人が歩行者天国のように行き交う賑やか通り(Rue de Buci)に出た。カフェやレストランなどが並んでおり、その内の広そうなカフェ・レストラン(L'ATLAS)に入った。
 入店するとウェイターが「ボスは誰だ?」と聞いてきたので、O氏を指差して、「彼がボスだ」と言うと、ボスをテーブルの一番奥の席に案内してくれた。
 早速、ビールを注文。そして名々が肉料理、魚料理を、そしてサラダ2皿を注文した。私達のテーブルを担当したウェイターは、『M君』と皆があだ名し、我々の間で一瞬にして人気者となった。すると彼は「自分は日本の雑誌にも紹介された」と言い出して日本の雑誌を拡げてもってきた。指差す写真をみると彼が写っていた。「M君、やるじゃない。」








 ビールでほろ酔い加減に、そして料理に満腹したろころで店を出て、通りを抜けて大学が点在してそうな方面に適当に進んでいくと、「UNIVERSITE」と壁に書いてある建物を見つけた。良く分からないけれど大学に違いない。階段の上に立派な人物像(Alfred Vulpian)を見つけ、その立像をバックに記念写真。付近の建物をよく見てみるとどうも医学部らしいことが分かってきた。
 この建物の横の通りには、「Universite Rene Dscartes」(ルネ・デカルト)と書かれた立派な建物があった。これがパリ第5大学だ。さらに「医学歴史博物館」「Universite Piere & Marie Curie」(ピエール&マリーキュリー大学:
パリ第6大学)、「Universite Paris Ⅲ Solbonne Nouvelle」(パリ第3大学:新ソルボンヌ)の建物に次々と出くわした。
 さらに通りを渡って右に曲がると立派な装飾の長い建物の通りに入る。その建物の真ん中あたりに来ると、玄関にフランス国旗が掲揚されており、壁面に「SORBONNE」「UNIVERSITE DE PARIS」と書かれているのを発見した。まさにここがパリ大学(第3とか第4)の本拠だ。その向かいには「College de France」がある。これは1530年にフランソワ1世によって建てられた大学だ。すでに時間は午後8時を過ぎており、夏季休業でもあるので学生がいるはずもない。時折、私達と同じような観光客が記念写真を取っている。これでパリでの仕事は完了。

 近くのメトロの駅から帰ろうとして改札前の案内係らしい人(学生風2人)にルートを尋ねると、サン・ラザール付近で駅構内に火災が発生したらしくて列車の運行が止まっているということ。結局彼らのアドバイスに従って、通りを隔てたST MIchel駅から北駅経由でPlace de clichy駅に戻ることになった。
 Place de clichy駅から地上のロータリーに出たが、ホテルの方向が分からない。「タクシーで来たときにこの角を曲がって行ったからこっちや!」という誰かの声があり、「そうかなぁ」と思い出しながらその通りを入っていったが、どうもそんな雰囲気でない街並みになった。K氏が道行くおばさんに尋ね、T氏が喫茶店の女店員に「アムステルダム通りはどこ?」と片言のフラ語で聞くと、来た道を指差し「2つほど先の曲がり角を右へ曲がって・・・」とかいうことで、結局、駅前ロータリーに戻ることになった。どうやらロータリーの反対側の通りにホテルがあることが分かった。
 その付近まで行くと確かに下り坂になっているアムステルダム通りがあり、徒歩3分くらいでホテルに着いた。「やれ、やれ」(午後21時過ぎ)