7月29日(日)  ブリュッセルからパリへそして市内観光
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<8月4日>
 9時にロビー集合。ウィーン大学の学生がボランティアで案内役を務めるくれることになり、ロビーで落ち合った。 彼は今年4月に北ドイツからウィーンに来て入学したばかりだ。日本にも1年ほど留学した経験があるとのことで、日本語は流暢だった。エッゲンベルグ城見学に際して、本学の博物館関係の先生を通じてガイドを依頼したところ、大学のほうでボランティア広告をHPに出してくれたらしく、それを見て応募したという。但しグラーツやエッゲンベルグ城も行ったことがないらしく、交通費・食事代・謝礼をもらえるということで応募したようなもので、ちょっと失望である。唯一ドイツ語の通訳ができるということだけが頼りであり、これが後で少しは役に立ったのだが。

 地下鉄でウィーン南駅に行く。地上にでると前にビルが並んでいるが、周辺はさびしそうな雰囲気で、再開発を長年待ちわびているような感じで南駅がどこにあるのか分からない。ガイドの学生もこの辺はウィーンでも怖そうなエリアだという。用心しながら500mほど通りに沿って歩くと駅舎の入り口に着いた。

 掲示板でグラーツ行き9時57分発が14番ホームから出ることを確認してホームに向う。列車には自転車専用の車両もつながれており、ホームには数人のサイクリング姿の客も列車を待っていた。でも長いホームには、数えるほどの客しかいない。9時半を過ぎて漸く駅舎の方から客がぞろぞろと旅行かばんを引きづりながら増えてきた。自転車も10台ほどになってきた。45分に列車に乗り込むとコンパートメントタイプの車両だった。
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 12時45分頃、グラーツ駅に到着。

 ウィーンから約150km、3時間程かかった。1999年に街に残る歴史的建造物全体を合せて世界遺産に登録されている。著名人としてはアーノルド・シュワルツネッガーがこの街の郊外で生まれ、指揮者のカールベームもこの街の出身者である。
 1568年創設のグラーツ大学では天文学者ケプラーも教壇に立っており、以来、大学の街として発展してきた。サッカーのオシム監督は日本に来る前にグラーツのサッカーチームを率いてオーストリアリーグで優勝したことも有名。
 すでに昼を過ぎているため、駅構内のマクドで食事を済ませる。BIGマックのセットで5ユーロ(850円)だから決して安くない。T氏が注文して支払おうとした隙に、後ろに並んでいたKu氏が「ミー・ツゥー」と言ってしまい、それを聞いた店員が二人分と解釈してレジに打ち込んでしまった。結果的に支払いは二人分、商品も一つのお盆にまとめられた。「やれやれ、早撃ちKuめ!」。

 食事を簡単に済ませ、駅前広場に出てトリムのホームで、カンカン照りの中、城行きの列車を待つ。4つのコースのトリムがあり、数本のトリムを見やって1番コースのエッゲンベルグ行きのトリムが10分ほどしてやってきた。
 チケットは列車内の販売機で購入(1.7ユーロ)して時刻の刻印も行う。10分足らずでトリムはエッゲンベルグ最寄の駅に到着した。お城への案内に沿って数100メートル歩くと城の玄関に到着。入場料が必要らしいが、そこはガイドの通訳で、私たちは日本からこの城の学芸員のC先生に約束をもらって会いにきたということで、パスすることができた。










 13時50分頃、玄関を入ると両サイドにこんもりとした木々が並んでいて、砂利の道が正面のエッゲンベルグ城に一直線に伸びて、樹木の間からお城の正面が覗いている。

 だたっぴろいどこかの宮殿とは異なり、しっとりと落ち着いた景観だ。ゆっくり木々の影をを歩いていくと左右には、広いグリーンの庭の合間に高い樹木が微妙な間隔でゆったりと植わっており、この庭がどこまで広いのか分からない。お城の付近には、放し飼いの孔雀が散歩しており、貴族の城としての豊かさを感じさせる。ガイドの学生はすべて農民の生産を搾取した結果だと言ったので、(味気ない奴やなと思いながらも)「そうだね」と言葉を返した。

 建物の中に入ると右側に受付兼売店があり、その係員にKu氏とTリーダー、そしてガイドが私たちの用件を伝えたが、約束していた学芸員は不在だという。「エーッ! そんなぁ!」ということになり、大坂図屏風の絵を見に来たと言うと、それは城内見学のツァーに入れば見ることができるということで、結果的に料金を払って1時間の見学コースをすることになった。
 私たちが見学をしている間に、係員が気を利かせて学芸員に連絡を取ったところ、私たちとは別に、数日後に本学教員(M.S女史)の見学依頼の話もあり、それと勘違いしていたことが分かった。(私たちの名前とか人数とかを伝えてなかったのか、なんという連絡ミス!!)

 見学コースは15時スタートだったので、時間まで城内の広い庭を散策して時間をつぶした。

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 エッゲンベルグ城内は、城の案内係(女性)が順々に各部屋の天井や壁に飾られた絵画や工芸品について詳しく英語で説明をしてくれた。もちろん全部を聞き取れるわけもなく、「なるほど」という表情をしながら、合間合間の理解可能な単語で勝手解釈した。小さい城だと思い込んでいたが、かなりの部屋があり、「もうお疲れ」と思った頃に、漸く大坂図屏風の部屋に入った。
 その瞬間、私たちは「これや!」と思わず声を出した。ところが近寄らないようにロープが這ってあり、ガイド学生とT氏が案内係の女性に、私たちがこの絵を見るためにはるばる日本からやってきたことや、この絵の陶板を本学の壁に嵌め込むプロジェクトが進んでおり、私たちはその大学の者だというような趣旨のことを説明したところ、「触らないでね」と注意だけして、ロープを外してくれた。

 部屋が北側に位置するためか、窓から充分な光が入らず、壁面が薄暗いため、フラッシュ無しでは写真映りがよくない。しかも狭い部屋の3面の壁に、高い位置まで描かれているので、普通のカメラでは全体を写すことは不可能だ。新聞記事の写真にも写されていた大阪城らしき部分も発見して喜びながら写真を撮っていたが、多少期待していたものと異なることが分かってきた。
 一つは屏風図だと聞いていたので、屏風そのものが展示されているものと勝手に思い込んでいたが、実際は、屏風の図を模倣して誰かがこの壁面に描いた絵画であること。2つ目は描かれている屏風の絵は、1枚毎だが、その間には中国の絵が挟んで描かれている。日本と中国の絵画がまぜこぜに壁面に描かれているということで、あまりアジア文化を理解していない城主の単なる趣味でしかないということだ。
 この部屋に来るまでの多くの絵画や工芸品もそれほど歴史的価値があるもののように思えなかった。強いて挙げれば古伊万里の皿や壷はひょっとしたら(本物なら)それなりの価値が認められるかもしれない。そんな程度だった。(これ、ここだけの内緒の話)。

元の屏風そのものがどこにあるのかが、むしろ知りたいところだが、描かれている大坂図の内容は、豊臣当時の大坂の街並みを知る上で貴重な図ではあるのだろう。ここで私たちがかなりの時間を取ってしまったために、1時間内で終わるはずのコース見学がオーバーしてしまい、案内役の女性は次の見学開始を10分ほど遅らせてしまった。丁寧にしていただいた彼女に感謝だ。

 16時過ぎ、見学を終えて販売店でやっと「約束の勘違い」であったことを聞かされ、止む無くその学芸員宛にお礼の置き手紙を預けることにした。Ku氏とTリーダーが原案を考え、Tリーダーとガイド学生がドイツ語に翻訳して手紙を完成させて、係員に預けた。

 16時30分、城を後にしてグラーツ駅に戻る。ガイド学生が駅前のビルにスーパーがあるはずなので、飲みのもを買うということになり、それぞれ調達した。

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 17時26分発、ウィーン南駅行きの列車に乗り込む。そして20時頃に到着。
 Ku氏らがガイド学生と話をする中で、ガイド学生の彼女(日本人留学生)と待ち合せて夕食を一緒にすることになった。待合せ場所のシュヴェーデンプラッツ(SchwedenPlatz)駅で彼女と落ち合い、彼女らのお勧めの店に案内してもらった。あたりは漸く薄暗くなってきた。細い道を左右に曲がっていくと建物の間にテーブルが並んで賑やかにビールを飲みながらワイワイがやがややっているエリアに来た。
 その一角のレストランに入り、奥の方のテーブルに着席した。愛想のいい店のオヤジさんが注文を取ってくれ、早速、ビール、そしてシュニッェルや骨付きポークなどをそれぞれが注文した。味は上々である。

 23時過ぎに店を出て、トリムでホテルに戻る(23時30分)。



<<参考ページ>>
(1)オーストリア政府観光局公式サイト「大阪屏風全図」

(2)関西大学大阪都市遺産研究センター「豊臣期大坂図屏風」(オーストリア・エッゲンベルク城所蔵)について

(3)権威象徴する「極楽橋」(読売新聞:20150502)