7月29日(日)  ブリュッセルからパリへそして市内観光
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<8月8日>
 9時15分にロビーに集合。久しぶりに皆、ネクタイ姿だ。
 あいにく今日は雨模様。ホテル最寄の駅(Nordfridhof)から市内へ4つ目のユニベルジタット(Universitat)駅で降りてすぐ近くにミュンヘン大学の建物がある。その玄関で10時に案内係の職員と待ち合わせの約束だ。5分ほど前に迎えの方がやってきて挨拶した。

早速だが、雨の振る中、傘をさしながら玄関前で大学の創設の話や、玄関前の大通りの凱旋門、広場石畳に敷設されているパンフの陶板の由来などの説明を受ける。そして建物の中に入り、800人収容の大教室やインフォメーションに当たるエリアに設置されているローズルーム(Denkestatte Weisse Rose:ここはヒットラーの台頭を許し、第2次世界大戦の過ちを犯したことを忘れないための記念館としてパネル展示を常設している)、卒業式や講演会が行われる1000人収容の大講堂を案内してもらった。最後に図書室を通り、国際交流センターの所長たちが待機してくれている会議室に通された。
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 11時15分、所長、副所長、担当職員と、通訳として雇われた日本人留学生が私たちを迎え入れてくれた部屋には、テーブルに青いボトル(ミネラルウォーター?)と日本茶と茶菓子が用意されていた。そして向かいの壁面にはスクリーン上に大学案内のためのプレゼン資料も用意されていた。ここでの説明内容や質疑応答は省略。







 片言の英語と通訳による質疑応答で1時間半にも及び、私たちとしては緊張しながらも内容豊富で濃厚・充実した訪問となったと自負している。
 12時半に終了し、階段のところで記念撮影をした。
 そして女性職員と通訳が昼食のために私たちを近くのイタリアンレストランに案内してくれた。ここでそれぞれスパゲッティのランチを頂く。奢ってくださるつもりだったそうだが、Tリーダーがそれは困ると言って最終的には当方が負担した。店を後にし、そして二人とも別れた。
 次に私たちはミュンヘン博物館コース(Ku氏、K氏)とダッハ収容所コース(他4名)に分かれて見学をした。






 14時50分頃、ダッハ(Dachau)駅に到着。駅前からトラムに乗り、10分程度でダッハ収容所前に到着した。
 入り口近くのプレハブで日本語用の説明ナビを借りようと質問したら、日本語はないとつれない返事だった。その代わりに日本語のパンフをもらった。入場は無料だ。
 すぐ横に崩れた列車のホームとレールの一部が残されていた。かつて多くのユダヤ人が列車で運ばれてここに到着したのだ。
 その前の玄関に入ると、鉄格子のゲートがあり、そこには「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になれる)の文字飾りがあった。
 その中はかなり広大な敷地が広がっているが、長いプレハブのような建物(復元)が1棟あり、かつてはこの建物が20棟もこの中に建てられていたらしい。そしてその1棟には1000人を越える人たちが収容されていたという。
 右側には収容所の本部棟があり、その中に将校たちの部屋があったが、その続きには狭い牢屋がいくつも並んでいた。そして現在はその中に収容所時代の数々の写真が展示されていた。
 広場の奥の方にはガス室の建物(ここは実際に使用されなかったらしい)や火葬場も設置されていた。
2週間の海外視察の最終日として、なかなか重々しい見学となった。
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 この後、再び列車でマリエンプラッツ駅に戻り、市庁舎前に19時に全員集合することにした。

 広場では3人の女性グループがモーツァルトの曲などを演奏したり、黄色いTシャツを着た大勢のグループがパフォーマンスダンスをしたり、賑やかである。私たちは集合の19時までの40分ほどの間、左右の店を冷やかして歩いた。

 19時、市庁舎前に全員集合。
 市庁舎の中に入っていくと、なんと市庁舎の建物の地下にビアーホールがあるではないか!
 名前はラーツケラー(Ratskeller Munchen)。市庁舎のビアーホールだ。
 ここが今回の旅行の最後の晩餐の会場となる。ここでもビール、そしてシュニツェル、骨付きポークにチキン、プレーッツェル。大いに飲んで、大いに食べた。

 21時半にホテルに戻った。いよいよ明日は帰国だ。
 このホテルにはプールがあると聞いていたので水泳パンツを持ってきていたが、もはや疲れてそんな元気はなかった。